当社が木造住宅の耐震化へ取り組み始めたのが
1998年(平成10年)からなので、もう27年になります。
もう27年間
長いのか短いのか
判断つきませんが
飽きずに
諦めずに
コツコツと実践し重ねて来ました。
最近、YouTubeスイコーチャンネルに
スピーカーとして出ているのですが、
時折、こだわりについての質問があります。
答え窮してなのか
『こだわりがない』
と返答しています。
自分の場合には、建築家のような芸術肌ではないし、
意匠デザインを追求したいと思っていないし、
あくまでも住宅という視点にて
様々なことを探求して自分なりの哲学が
出来上がっています。
下請け時代に大手ハウスメーカーの
新築工事を現場で担い
脱下請け後からは他社が建てた
住宅のリフォームや修繕を数多く行ってきました。
そのプロセスが自分なりの哲学形成へと
なっていきました。
YouTubeではこだわりがないと返答していますが、
それはその該当する質問の内容に対する話でしかなく、
ちゃんとあるんですこだわりが
それが住宅の耐震化です。
1995年(平成7年)1月17日午前5時46分に
発生した兵庫県南部地震
マグニチュード7.3
最大震度7
ちなみに震度の最高は7までで
震度8とか震度9はないのですが、
意外にご存じない方がいらっしゃるんです。
この業界で働いている人の中にもです。
先の地震は阪神淡路大震災となり、
仙台市水道局からの要請にて
同年2月に神戸市へ入りました。
私は、この業界に入って最初は
現場の手元工(小間使い)でした。
やがて配管工(2級配管技工)に合格し
給排水配管が出来るようになりました。
その後、国家資格である
給水装置主任技術者にもなり、
技能と技術を持ち合わせる所に至っていました。
そのような経験値があったことで
仙台市水道局が取りまとめた
兵庫県南部地震給水復旧支援隊へ参加することになったのです。
神戸入りし須磨海岸にある民宿が宿営地でした。
毎朝、民宿(当初は電気がない、水がない)から
テレビで報道された焼け野原化した長田区のJR鷹取駅前を
通って神戸市水道局へ行き、指示を受けて
神戸市内の住宅へ1件ずつ行って、
給水作業を行いました。
神戸市内(西側)を巡りに巡ったので
被災状況を目の当たりにしました。
その体験が、住宅の耐震化へと取り組む切っ掛けに
なったのです。
(次回へ)
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