(前回からのつづき:[※前回同様に”である調”にて記述します。])
幸いにも翌日の朝、
ひとりまたひとりと出勤し、全員が揃った。
津波があったこと
被害が想像以上であることが分かりつつあったものの、
まったくイメージできずにいた。
このような状況になり一般的な経営者なら
会社を閉じて皆を帰すのが常識だろう。
何せ、みなは自宅被害を放置したまま
集まっているのでもあるし。
水道が止まり
電気が止まり
都市ガスも止まり
住宅に被害がない、もしくは軽微であったとしても
基本的な生活維持に支障が生じているのだ。
駐車場にて廃材をドラム缶に入れてたき火して
暖を取りながら、さてどうしていくべきかを
考えに考えた。
考えに考える理由があった。
平成7年(1995年)1月17日に発生した
兵庫県南部地震による阪神淡路大震災、
朝起きてヘリコプターから現地を撮している
TV報道に釘付けになった。
まもなく日本全国の自治体へ水道復旧支援要請が
発せられ、仙台市水道局も動いた。
支援要請に手を上げた業者が神戸での
水道復旧作業支援作業へ従事することになった。
私は、技術者である前に現場で作業を覚えた
技能者である。水道の配管が出来るし、状況判断も出来る。
そのため職人と私の2名が会社代表として従事した。
復旧作業に従事しながら、神戸市内の惨たんたる
状況を目撃し続けたのである。
被災者の家を一軒一軒回って給水の復旧作業を
行うのだが、喜ばれたり感謝されたりするばかり
ではない。感情を爆発させて怒られることも
何度となくあった。個々の家々の被害状況は
まったく違うし、その家の家庭状況も違うのだから、
反応が違うのも当たり前である。
そのように日本全国から集まった技術者と技能者が
手分けして一軒一軒回ったことにより給水という
生活に必需なものを早期に復旧できたことは
事実である。
その経験があったことが、
どうしようかと考える理由になった。
今回の地震被害状況が分からなくても
ライフラインが断絶しているのだから、
復旧において技術力や対応力が必要になることが
明かだったからだ。
(次回につづく)
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