(※今回は”である調”にて記述します。)
コロナ禍による世界の変化
社会構造の変化
生成AIが一年前に登場したら
あれよあれよと新たな変化が繰り広げられ
この4年間の変化に戸惑い
経営者としての自らの思考に迷い
判断している事柄への不安
それもその多くが業界のこれまでの
非常識へ歩みを進めることであり
そこへ家族だけでなく、
スタッフとその家族、
職人とその家族をも巻き込んでいくことへの恐怖
それらの重たい不安と恐怖は
過去に1度体験したことがある。
それは東日本大震災での体験。
2011年3月11日14時46分
揺れたと思った地鳴りと共に
大きな揺れへとなっていった。
中三の時に体験した
宮城県沖地震を直ぐに思い出した。
本社2階には経理スタッフと私の二人きり
1階ではメーカー本社の人と宮城営業所の担当者の2名の来客、
そしてスタッフ2名。
揺れが大きすぎて階下に降りて行く余裕もなく、
物が倒れてきても安全そうな場所へ何とか移動、
経理スタッフも直ぐに近寄ってきた。
支え合って揺れを凌いだ。
揺れがピークに達しようとした時に
この建物が倒れるかもと恐怖心が襲った。
1階の4人は外へ逃げただろうかと不安になった。
窓の外を見ると全てが揺れているはずなのに
空と遠くに見える泉ヶ岳が平然としている
ような印象だった。
揺れが納まってあたりを見回すと
二人が立っていた1㎡ほどだけが安全領域で
その他は棚の上から落ちたり、
コピー機が数メーター移動していたり
机がどこにあったのかさえ分からなく
足の踏み場がない状態だった。
ただただ運が良かった。
経理スタッフに何を伝えたのか記憶にないが、
揺れが納まっている間にとにかく外へと移動した。
1階にいた来客とスタッフは外へ避難していた。
無事を確認してから、
すぐ近くの高齢者の住居へ走って行き
ドアを叩いて無事を確認し、
その足で近所の病院へ向かった。
2階で人工透析をしている病院なので
避難に人でが必要かと思ったからである。
すでに避難が完了していた。
その間にスタッフ達に外出中の
スタッフ達への安否確認をさせいた。
全員無事だった。
その次の指示は、現場にいるもしくは
現場に近いスタッフには現場の安全確認を
銘じ、その後は帰宅するよう命じた。
幸いにも現場で大きな被害がなかった。
この時には津波被害エリアに現場がなかった。
翌日は、通常より1時間早く出勤するように
とも付け加えていた。
その時には地震被害が、
宮城県沖地震を遙かに超えるなどとは
想像だにしていなかった。
(次回へつづく)
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